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ツイッター経由で池田信夫氏のブログ記事(大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状)を知った。経済学者であり影響力の大きいブロガーの記事であるから興味深く読んだのだが、どうしても気になる点がある。
以下、勢いに任せてみた。勘弁。
池田氏は経済学者であるからインセンティブに注目するのは自然であり、この点については異論が無い。しかし、「努力のインセンティブ=出世」のように高校教員を大企業の正社員と同様に捉えている点は反論したい。特に、コアな情報科教員の場合には当てはまらない。
教育サービスは日本経済にとってもこれから重要な産業だが、その劣化は深刻だ。この根本原因は、教師にインセンティブがないこと
だ。教師は長期雇用が保証されて年功賃金になっている点では大企業と似ているが、企業ではどの部署に配置されるかという人事による競争があるのに対して、
教師は同じような学校を転勤するだけなので、怠けてもペナルティがなく、努力しても出世するわけではない。大学の教師に至っては、転勤さえないので、怠け
放題だ。
(大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状)
大企業の正社員は出世すると役職が上がり権限や部下、予算なども付いてくるが、これは大企業がピラミッド型の組織だからである。生涯給与や仕事の影響力を上げるインセンティブが強いのなら出世する意味は大きい。
一方、高校は教諭と管理職という「ナベ蓋型」の組織であり、教育業務を主に担当する教諭と学校経営を主に担当する管理職という構図になる。
教員は教育専門職であるから、自分の教育能力(授業や学級運営、各種教育活動)の向上が自身の成長であり、これにより生徒の成長や同僚教員からの信頼という報酬が得られることになる。(池田氏は信頼という報酬がインセンティブにならない教員を問題視していると推測するが、特に生徒からの信頼がインセンティブにならない教員がいるは疑問だ)
ところが管理職になると生徒に直接教育する機会のほとんどが剥奪され、一般教員の管理や事務処理などの教育ではない仕事をやらされる。公立高校であれば教育委員会と現場の板挟みが追加されるだろう。この意味において管理職ではない専任教員を保持する(=大企業でいう出世しない正社員になる)強いインセンティブがある。
コアな情報科教員という観点から、競争原理についてもコメントしたい。
これに対して橋下氏が校長を公募するとか、教師を点数で評価して成績の悪い教師を免職するなどの規定が反発を呼んでいるが、大事なことは、命令系
統を明確化して教師に競争原理を導入し、努力のインセンティブを与えることだ。受験戦争では熾烈な競争が行なわれているのに、教師だけが競争を拒否するの
は筋が通らない。
(大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状)
コアな情報科教員にはブルーオーシャンという特殊な教科特性がある。具体的には、
- 教科自体の歴史が浅い(=ヒエラルキーや派閥が無い)
- コアな情報科教員の数が少ない(=密なコミュニティ)
- 教育実践が未開拓である(=パイオニアになりやすい)
- 教育内容がICTイノベーションの影響を受けやすい(=未開の地が広がる)
といったところである。
教育内容が全く安定していない情報科であるから、コアな情報科教員は「自分が情報科を開拓している」という意識が強いと言える。教育実践を公開する事で良い評判を得ると、教育実践に関する問い合わせや教科書執筆などの機会に恵まれることになり、さらに良い評判を得る可能性があがる。
また、コアな情報科教員は少数であり、実質的にほとんど顔見知り状態で密なコミュニティを形成している。都内のコアな情報科教員は国公私立を問わずお互いの事をすでに知っているし、Twitterやfacebookなどでゆるくつながっている。よって、よい評判は伝播しやすい環境である。
つまり、コアな情報科教員は「仲間からの良い評価」という報酬を受ける強いインセンティブがあると言える。ヒエラルキーはなく、権威は不在であり、未開拓分野だらけであり、時間の経過とともに(≒ムーアの法則により)新しいICTの世界が広がる。良い評価を得る可能性は他教科に比べて格段に高い。
現実問題として、都高情研では研究発表の希望者が多いので調整が必要だと聞く。コアな情報科教員にはすでに競争状態にあるのだ。
閑話休題。
生徒の競争は受験という「競争試験」の事であり、絶対的な点数ではなく点数による序列で評価が決まる。受験が終われば(合格すれば)この競争は終了する。
一方、教員の競争とは良い評価を得ると言う「評価競争」であり、教育実践の開拓という「パイオニア」によって評価が決まる。教育実践を公開しても定年まで授業は続く。
違う点が色々とあると思うのは私だけだろうか。
:-P
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