社会と情報

2013年8月14日 (水)

新バズワード? - データベース・アンプラグド

元ネタのツイート


日本情報科教育学会第6回全国大会の参加報告エントリーがキュレーターの奥村晴彦先生にRTされていて驚いた。アクセス数はリツイート当日の8月13日(火)で178(ユニークアクセスは162)と恐らく過去最高水準。きっかけは「データベース・アンプラグド」という私の造語のようだ。

具体的な教材例を考えてみる。

  1. 正規化されたいくつかのテーブルを用意する。
  2. テーブルのフィールドのリレーションを線で引かせる。

とか、

  1. リレーションしてあるテーブルを用意する。
  2. クエリの条件を提示して、クエリの実行結果を書かせる。

とか、

  1. リレーションしてあるテーブルを用意する。
  2. クエリの実行結果を提示して、クエリの条件を書かせる。

とか、

  1. 正規化されたいくつかのテーブルを用意する。
  2. 必要な情報を提示して、リレーションとクエリの条件、クエリの実行結果を書かせる。

とかといったところだろうか。クロス集計をさせても楽しいかもしれない。

手作業で大変な思いをした後は、エクセル様とかsAccess様にお願いして、ビッグデータごっこな展開。

(;´Д`A ```  ベタですみません・・・

2013年5月22日 (水)

アンケート集計結果

このブログが始まった頃にアンケートを始めたのだが、その集計報告がすっかり遅くなってしまった。申し訳ない。時期を逸しているが、集計報告をする。(回答の結果はこちら

Q:「社会と情報」と「情報の科学」のどちらに興味がありますか?

(社会と情報29件)+(情報の科学18件)=47件

ブログのタイトルが情報科「社会と情報」ブログなのだから当然の結果である。

回答者の年齢構成は、全体のデータだと20代、30代、40代、50代が同数なのだが、「情報の科学」に限定すると全員が20代である。若いなぁ・・・

2013年1月24日 (木)

情報科と他教科との接点 - 2013年度センター試験(倫理)

今年も多くの人が注目するセンター試験が行われた。本ブログでは「社会と情報」に関係すると考えた出題についてコメントする。諸氏からのコメントが頂けたら幸いである。

初回は2013年度センター試験(倫理)である。第1問の2か所が該当する。引用してみる。

A:(a)情報技術の発達は、人と人との関わり方を大きく変えているね。インターネットを使えば、誰とでも、遠くの見知らぬ人とでも、やり取りできるもの。

問1:下線部(a)に関して、情報技術の発達に伴う社会の変化に関しての記述として、最も適当なものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。

正解:(1)企業や公的機関に大量の個人情報が集積されるようになったため、プライバシーが侵害される危険性が大きくなっている。

他の選択肢と比べると妥当性はあるものの、消費者に偏った記述である。企業や公的機関は収集した個人情報をビジネスやサービスに活用している。情報技術の発達に伴う社会の変化に関する記述であるならば、実情を踏まえた選択肢の方が良いと考える。

B:(b)ネットにアクセスできない人もいるから、「誰とでも」は言い過ぎでしょ。

問2:下線部(b)のような問題を示す用語として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。

正解:(3)デジタル・デバイド

枝葉末節、重箱の隅。情報科の教科書だったらディジタル・ディバイトかも。情報科としては本当に枝葉末節、重箱の隅。

(*´・д・)σ

2013年1月22日 (火)

最初の一歩に対する雑感 - 試作入試問題 #001(情報入試研究会)

教科情報の大学入試は高校側と大学側の双方にとって課題であり、センター試験での導入の是非も様々な意見がある。情報入試研究会で教科情報に関する大学入試問題の試作問題

が公開されており、いろいいろと参考になる。

■「社会と情報」についてどうしても気になる雑感

(1)選択方法

表紙に公開された問題では問題、選択方法、分野が提示されているが、「情報の科学」と「社会と情報」の両方が必答となっている。

一方、本文の方では「社会と情報」に関する問題は選択問題となっている。

なぜ?

(2)第1問の問6

法と倫理(モラルとルール)を分けて扱うのが良いと考える。しかし、「試作入試問題 #001」の問題文では混同されているように思える。

同時に、法を明示された規則(=条文)として扱うことにも疑問がある。

問6 私たちが情報社会において守るべき「情報モラル」には、私たちが生得的に持っている人命を尊重する、他人に迷惑を掛けない、嘘をつかない等の「人道的考え方」、皆が共通にもっている「常識・慣習」、法律やその他の「明示された規則」があります。次のことがらはどれに相当するか、それぞれ適切なものを選択しなさい。

赤太字は筆者)

法と倫理を混同すると、ルールの問題を気持ちで解決しようとしたり、気持ちの問題をルールで解決しようとしたりと、混乱を招くことになる。折角の新しい教科なのだから、この二つを分離して扱うことが重要だと考える。

法を明文化された規則(=条文)として扱うと、プライバシー権や肖像権といった判例の積み重ねによって理解されている事柄が扱いにくい。プライバシー権や肖像権は全ての教科書で扱う内容であろうから、ここも押さえておきたい。

プライバシー権や肖像権の法源を幸福追求権に求めるだとか、法を「成文法」と「慣習法」に分けることだとかもあるが、教科情報としては深入りし過ぎだと私は判断する。

■関連」イベント情報

ちなみに、この研究会では以下のような日程でフォーラムを開催する。参加したい。

(*゚▽゚)ノ 行くぞ!

2012年1月24日 (火)

池田信夫氏が知らないであろう「教師のインセンティブ」

(T)

ツイッター経由で池田信夫氏のブログ記事(大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状)を知った。経済学者であり影響力の大きいブロガーの記事であるから興味深く読んだのだが、どうしても気になる点がある。

以下、勢いに任せてみた。勘弁。

池田氏は経済学者であるからインセンティブに注目するのは自然であり、この点については異論が無い。しかし、「努力のインセンティブ=出世」のように高校教員を大企業の正社員と同様に捉えている点は反論したい。特に、コアな情報科教員の場合には当てはまらない。

 教育サービスは日本経済にとってもこれから重要な産業だが、その劣化は深刻だ。この根本原因は、教師にインセンティブがないこと だ。教師は長期雇用が保証されて年功賃金になっている点では大企業と似ているが、企業ではどの部署に配置されるかという人事による競争があるのに対して、 教師は同じような学校を転勤するだけなので、怠けてもペナルティがなく、努力しても出世するわけではない。大学の教師に至っては、転勤さえないので、怠け 放題だ。

大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状

大企業の正社員は出世すると役職が上がり権限や部下、予算なども付いてくるが、これは大企業がピラミッド型の組織だからである。生涯給与や仕事の影響力を上げるインセンティブが強いのなら出世する意味は大きい。

一方、高校は教諭と管理職という「ナベ蓋型」の組織であり、教育業務を主に担当する教諭と学校経営を主に担当する管理職という構図になる。

教員は教育専門職であるから、自分の教育能力(授業や学級運営、各種教育活動)の向上が自身の成長であり、これにより生徒の成長や同僚教員からの信頼という報酬が得られることになる。(池田氏は信頼という報酬がインセンティブにならない教員を問題視していると推測するが、特に生徒からの信頼がインセンティブにならない教員がいるは疑問だ)

ところが管理職になると生徒に直接教育する機会のほとんどが剥奪され、一般教員の管理や事務処理などの教育ではない仕事をやらされる。公立高校であれば教育委員会と現場の板挟みが追加されるだろう。この意味において管理職ではない専任教員を保持する(=大企業でいう出世しない正社員になる)強いインセンティブがある。

コアな情報科教員という観点から、競争原理についてもコメントしたい。

 これに対して橋下氏が校長を公募するとか、教師を点数で評価して成績の悪い教師を免職するなどの規定が反発を呼んでいるが、大事なことは、命令系 統を明確化して教師に競争原理を導入し、努力のインセンティブを与えることだ。受験戦争では熾烈な競争が行なわれているのに、教師だけが競争を拒否するの は筋が通らない。

大阪市の橋下市長が日本の教育にたたきつけた挑戦状

コアな情報科教員にはブルーオーシャンという特殊な教科特性がある。具体的には、

  1. 教科自体の歴史が浅い(=ヒエラルキーや派閥が無い)
  2. コアな情報科教員の数が少ない(=密なコミュニティ)
  3. 教育実践が未開拓である(=パイオニアになりやすい)
  4. 教育内容がICTイノベーションの影響を受けやすい(=未開の地が広がる)

といったところである。

教育内容が全く安定していない情報科であるから、コアな情報科教員は「自分が情報科を開拓している」という意識が強いと言える。教育実践を公開する事で良い評判を得ると、教育実践に関する問い合わせや教科書執筆などの機会に恵まれることになり、さらに良い評判を得る可能性があがる。

また、コアな情報科教員は少数であり、実質的にほとんど顔見知り状態で密なコミュニティを形成している。都内のコアな情報科教員は国公私立を問わずお互いの事をすでに知っているし、Twitterやfacebookなどでゆるくつながっている。よって、よい評判は伝播しやすい環境である。

つまり、コアな情報科教員は「仲間からの良い評価」という報酬を受ける強いインセンティブがあると言える。ヒエラルキーはなく、権威は不在であり、未開拓分野だらけであり、時間の経過とともに(≒ムーアの法則により)新しいICTの世界が広がる。良い評価を得る可能性は他教科に比べて格段に高い。

現実問題として、都高情研では研究発表の希望者が多いので調整が必要だと聞く。コアな情報科教員にはすでに競争状態にあるのだ。

閑話休題。

生徒の競争は受験という「競争試験」の事であり、絶対的な点数ではなく点数による序列で評価が決まる。受験が終われば(合格すれば)この競争は終了する。

一方、教員の競争とは良い評価を得ると言う「評価競争」であり、教育実践の開拓という「パイオニア」によって評価が決まる。教育実践を公開しても定年まで授業は続く。

違う点が色々とあると思うのは私だけだろうか。

:-P

2012年1月 4日 (水)

高等学校の情報科教員の学歴って・・・

(T)

ブログの起源(ウェブページのURLと覚書きなどを記録すること)にのっとって、気になった記事をきっかけに記事を書く。

そのブログは「教育失敗学から教育創造学へ」。

このブログは公立中学校教師のブログで、個人的にチェックしている。大学附属高等学校と公立中学校では世界が随分違うので、色々と勉強になることも多い。(このブログが公立中学校の代表という意味ではない)

このブログでとても気になった記事が「教師の学歴についてい(教育失敗学から教育創造学へ)」である。

 教員採用で関係がある「学歴」は,大学卒か大学院卒か,ということくらいです。

 大学がどこであるか,というのは問題ではありません。

 教員採用試験の予備校のような大学卒でも,差別されることはありません。

 逆にいわゆる「偏差値が高い」大学だと,教員になってから逆差別を受ける可能性はありますが。

公立中学校では大卒と大学院卒に大した違いはないようだが、高等学校では大卒と大学院卒には大きな違いを感じる。特に大学進学率の高い高校においては、親学問との兼ね合いから大学院卒の意味合いは大きい。

高等学校の授業を教科書通りに展開するだけでは校高校生は満足しない。その単元にある学問的な背景や進路との関係など、教科書を逸脱する内容を授業に上手く織り込むことも求められるからだ。

教員採用試験の予備校のような大学卒の場合はさらに不安を感じる。教員採用試験の勉強をして教員になった人は教員採用のために大学で勉強した人であるから、教科に関する専門知識に疑問が残る。「この授業の本質は○○だよ」といった言葉が授業で登場することは難しいと推測する。

結果、大学がどこであるかというよりも大学院で結果を出したか(例:数学なら修士論文は「結果を出す」ことであり「総合報告」ではないという意味)が重要であり、大学がどこであるか、というのは問題になることはあまりない。

■情報科教員の学歴は?

「社会と情報」と関係の深そうな10の専門分野 ※ただし理工系を除く第1回情報学教育推進コンファレンスでも少し書いたのだが情報科が取り扱っている範囲は広範で学際的であり、親学問は多岐にわたる。人文学系、社会学系、理工系、芸術系、応用科学、実体経済などかなり幅広く学ぶには、大学4年間は短すぎると感じる。理想は博士課程修了以上だが、現実的には修士課程修了以上が良いと感じる。

情報科が多くの親学問を持つと考えるならば、就職後も勉強や研究の継続が必要となる。学問における方法論を習得には修士以上で結果を出すことが大切だと感じているので、修士課程修了以上が良いと思う。

特に本気で「社会と情報」の授業を展開するなら、退職まで勉強・研究の日々が続くだろう。なぜなら、情報科は情報社会という変化の激しいモノを取り扱う教科だからだ。

日々是勉強するには時間との戦いだ。
:-P

(T)

2011年5月 9日 (月)

「高校の「情報」の教科書がすごい件」と「社会と情報」の関連について考えてみた(3)

[情報科] ブログ村キーワード


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一時期、情報教育関係者が注目した一連の記事である。新学期も少し落ち着いてきたので、そろそろ勢いでコメントしてみる。

【3】高校の「情報」の教科書が無駄にすごい無駄な件がズレてる件

【4】小飼弾が的を外した議論をしている高等学校情報A

小飼弾氏のエントリーに対する冷静な記事である。現場教員は生徒の事を中心に考える傾向があるので、冷静な記事は助かるものである。

さて、「社会と情報」に関わる部分について印象に残る部分を引用する。

小飼弾氏の言う「失敗」は、正しくない操作方法や、インターネット関連企業の事業的な失敗を指している。NHK高校講座で言う「失敗」は、著作権の侵害や、名誉毀損や侮辱などの法的に問題のある行為を犯すことや、自分や知人のプライバシー情報を自らインターネットに公開してしまう事だ。

小飼弾が的を外した議論をしている高等学校情報A

高校生にとってインターネット関連企業の事業的な失敗は想像しにくいが、正しくない操作方法や法的に問題のある行為は想像しやすい。発売前のマンガをYouTubeに投稿する事は法的に問題のある行為であることがその例である。

しかし、法廷に出てから法解釈を覚えても間に合わない。失敗を責任が負える範囲にとどめるために、『高等学校情報A』では、もっと民事・刑事事件のケース・スタディを増やすべきであろう。

小飼弾が的を外した議論をしている高等学校情報A

法教育について述べた部分である。著作権侵害が問題になるケースは民事・刑事ともに存在する。プロバイダー責任制限法はプロバイダーに対する免責だし、不正アクセス禁止法は不正アクセス行為の禁止に関する刑法の一つである。プライバシー権や肖像権は判例法で判断される。

「社会と情報」には「情報社会における法の理解と個人の責任」という項目があるので、情報社会における法教育の重要性が見てとれる。情報モラルを扱うには、情報法に関する知識が必要であろう。

( ̄Д ̄;; 「社会と情報」で情報法を本格的に扱う日は来るのか・・・?

2011年5月 8日 (日)

「高校の「情報」の教科書がすごい件」と「社会と情報」の関連について考えてみた(2)

[情報科] ブログ村キーワード


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一時期、情報教育関係者が注目した一連の記事である。新学期も少し落ち着いてきたので、そろそろ勢いでコメントしてみる。

【2】高校の「情報」の教科書が無駄にすごい無駄な件

いわずとしれた小飼弾氏のエントリー。相変わらず過激な書き振りではあるが、教育現場の実情を踏まえない「釣り記事」と思えばいいだろう。印象に残る部分を引用する。

正しい答えを出す事じゃないんだ。リテラシーって。

自分が出した答えに、責任を持つ事なんだよ。

責任を負えるなら、いくら間違ったっていいんだ。

他のブログ記事でも注目されているが、要するに「リスクテイク」、「リスクテイカー」の話である。情報社会のリスクを取るためには基礎知識や基礎技術が必要である。情報社会でリスクテイクが必要になったとき、リスクテイカーの考え方が必要になってくる。

情報科の授業を受けているのは高校生達であり、情報社会の基礎知識や基礎技術を持たない者が多い。このような高校生達は情報社会におけるリスクを取れる状態にはないと考える。

まあ確かに「知らないより知った方がいいことばかり」ではある。しかしそれ以上にググレカスな問題ばかりだ。

残念ながらググって理解が出来て技術が習得できる高校生は皆無である。高校生達がググってリスクテイカーにはなれない。結局のところ、小飼弾氏がイメージする高校生を前提にするのは不当な一般化であり教育現場に対しては説得力は0である。

閑話休題。「社会と情報」でリスクについて扱えるだろうか。経済学・ビジネス関連でトレードオフを扱う事を考えれば、リスクについて扱える可能性は十分にある。「リスク=怖い」などという扱いだけは避けたいものだ。

(;;;´Д`) 情報科教員のリスクって何だろう・・・

2011年5月 7日 (土)

「高校の「情報」の教科書がすごい件」と「社会と情報」の関連について考えてみた(1)

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一時期、情報教育関係者が注目した一連の記事である。新学期も少し落ち着いてきたので、そろそろ勢いでコメントしてみる。

■ 取り上げられた教科書について

一連の記事で話題となったのは「高校情報A(実教出版 情報060)」の事である。現在発行されている情報Aの教科書の中で一番詳しく記述されている教科書であろう。ちなみに、情報Aの教科書シェアNo.1は実教出版である。

■ 記事に対する雑感

【1】 高校の「情報」の教科書がすごい件

ICTに関する仕事をされている方であれば当然の反応だと思う。印象に残る部分を引用する。

こういうのって独学でやっていくものだと普通に考えていたが、もう教科書で教えてもらえる時代なんだなぁ。こういうのを「高校で習った知識」として社会に出てくる若者がいることを、いまの40代50代60代はちゃんと知らないとね。もう「何か特殊なこと」ではない。「誰か得意な人がやること」でもない。教科書に載ってるんだもん。言い訳は通用しない。

情報社会に関する基礎知識や基礎技術は「何か特殊なこと」でも「誰か得意な人がやること」ではない。情報社会だからこそ高等学校段階における教科情報で基礎知識や基礎技術を身につける必要があると考える。

現実はどうか。残念ながら教科書に掲載されている内容を授業で網羅できないのが現実である。全般的な理由は以下の通り。

  1. 情報科教員の実力
  2. 生徒の学力
  3. 2単位

では、「社会と情報」ではどうか。教科書が出ていないのではっきりとした事は分からないが、教科書検定や値段、ページ数の事を考えると多くは扱えないと予想する。

特に「「社会と情報」と関係の深そうな10の専門分野 ※ただし理工系を除く」で紹介した専門分野に関しては法律関係以外のアプローチが弱いか全くないと言ってよいので、「教科書に載っているから言い訳は通用しない」といったような将来像は見えてこない。

今後の教材研究や研究者からのアプローチを勝手に期待する。私は教育現場からの実践報告をする予定である。

(゜д゜)ノ 現在、マターリ準備中・・・

2011年5月 6日 (金)

ポスターセッションか、口頭発表か、それが問題だ

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情報科教育に限らず、いわゆる学会や研究会では様々な発表がある。一般的な発表形式として、

  • ポスターセッション
  • 口頭発表

があるが、これらの違いは何だろうか。両方の形式で発表した事があるので、それぞれの特徴をまとめてみた。

★ポスターセッション

ポスターセッションとは、仕切り板などに発表内容(ポスター)を掲示して興味を示した参加者に説明をする発表形式の事である。

メリットを列挙してみる。

  • 話し手と聞き手の距離が近いので参加者に合わせた密度の濃い発表が出来る
  • 話し手と聞き手の距離が近いので細かな教材を提示できる
  • 発表時間ではないときは、メモと筆記用具を設置しておくことでコメントをもらえる可能性がある
  • 聞き手は自分の興味関心に従って発表を聞く事が出来る
  • 時間を上手く使えば、口頭発表よりも多くの発表を聞く事が出来る
  • 話の途中で質疑応答が出来る

デメリットを列挙してみる。

  • 話し手は同じ話を何回もすることになる
  • 流動性の関係から話す時間は数分程度に限られる
  • ある程度の時間が必要なまとまった話は現実的ではない
  • 発表時間が区切られていないので、上手く回らないとタイムロスが生まれる

これらの事を踏まえると、聞き手との交流を重視するときや教材を手に取ってもらいたいときにはポスターセッションが向いていると感じる。経験上、名刺交換率が高かった気がする。

★口頭発表

口頭発表は説明不要だろう。

メリットを列挙してみる。

  • まとまった時間で発表出来る
  • 司会が時間管理をしてくれる
  • 話し手のペースで発表出来る

デメリットを列挙してみる。

  • 発表者と聴衆がポスターセッションより離れている
  • 細かな教材の提示は困難である
  • 発表時間が決められている(平均的に20分~25分)
  • 質疑応答が難しい場合がある
  • 他の発表と時間が重複する場合は聞けない発表がある

これらの事を踏まえると、提案や授業実践報告、調査報告には向いていると感じる。

★閑話休題

口頭発表に関する書籍は様々あるが、ポスターセッションに関する参考図書は少ない。自分が参考にした書籍を紹介してみる。

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(´・ω・`)ゞ どっちもイイよ・・・

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